ひとは人には
より添えない
ほんとうに
より添えるのは
仏さまだけ
(宮崎幸枝)
東日本大震災の後、「絆」「寄り添う」という言葉が巷にあふれました。
ご本山の研修会で「僧侶の役割を考える」といった内容のパネルディスカッションが開かれ、招かれたカウンセラーの先生が、「寄り添う」事の大切さを強調されました。それを受けて発表されたのが宮崎ホスピタル副院長(当時)の宮崎幸枝先生です。
わたしは「寄り添う」という言葉が大嫌いです!医者をしておりますが、患者さんに寄り添えた事なんて一度もありません。ひとは人にはより添えない。本当に寄り添えるのは仏さまだけ。
カウンセラーの先生の憮然とした表情やスタッフの慌てた様子が目に浮かびます。
先生の病院では、毎月法話会が開かれ、阿弥陀さまのお話が聞けるのです。
我をたのめ、必ず救う、とお誓い下さる仏さまがいらっしゃる。その仏さまはナンマンダブツと常により添って下さっている。
「死の解決」が医者にないと患者には向き合えない。「死なないこと」を患者は願うし、医者も「死なせないこと」に力を尽くす。 けれども、人間は死なないわけにはいきません。病が治るにせよ、治らないにせよ「死んだらどうなるのか?」という問いに真正面から向き合い、解決しなければ人生は開けない、という信念がおありなのです。
けれども、一般的には「絆の大切さ」「寄り添う」という言葉に異を唱える人は希かもしれません。
そういう意味では、連続テレビ小説「おかえりモネ」は、隔離と分断が横行するコロナ禍のなか、東日本大震災のその後の人間模様が描かれていて、大切な気付きに満ちていました。
大切な人の死をどの様に受けとめるかが自らの生き方に直結し、死者との関係性は、やがて、生者とのつながりと重なってゆきます。
生者と死者に関わりなく、自分を思ってくれている人がいる、という実感が生きる力につながってゆく。
最終回、菅波先生との関係は「私たち、距離も時間も関係ないですから」という百音の言葉に決着します。
その主人公百音の成長を促したのはサヤカの存在でした。
「私、サヤカさんみたいになりたい。誰が来ても受け入れて、いつでも行っておいでと送り出す。帰ってきたらおかえりって言ってあげる」
この言葉に、サヤカの孤独も癒されます。
最終週に姉妹の和解が描かれるのですが、この願いが妹未知との再結を導きます。未知が「おばあちゃんを置いてきてしまった」という心の傷を明かします。自分を許せない、という妹に百音が「未知は悪くない、何度も言うよ、そう思うたびに何度も言うよ」「これからは私がここにいる。だから今度は、みーちゃんが好きな所に行きな。帰ってきたくなったら、また帰ってくればいい」と語りかけます。
美しく、感動的な物語でしたが、私は、未知の「そんなの…言われたって無理だよ」という言葉が胸に刺さりました。
「こんなことは綺麗事で何の役にも立たないかもしれない。でも・・・」と百音が応えるのですが、私には
ひとは人にはより添えない ほんとうにより添えるのは 仏さまだけ
という先生の言葉が、思いだされてなりませんでした。サヤカさんや百音のような人が身近に見当たらないという方、是非、法座にお参り下さい。
称名