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食まば食め 喰わば喰え~

岐阜県関市のお寺 光圓寺(こうえんじ)の巻頭言法味

食まば食め 喰わば喰え
金剛の他力の信は
よもや はむまじ


 福井県吉崎御坊願慶寺に、「嫁おどし肉附の面」が伝えられています。同寺に伝わる『嫁威肉附面縁起』によると、蓮如上人が、比叡山延暦寺の迫害をのがれ、吉崎に布教の拠点を移されたころのこと、近在の十楽村に、先祖は武士であったという、与三次(よさじ)という農夫が暮らしていた。妻を娶(めと)り、子を二人なしたが、父子共に相次いで病死してしまう。残された嫁、清(きよ)は姑との二人暮らし。世の無常を痛感し、蓮如上人をたずねて、信心の人となる。

 姑の世話や百姓仕事を、御恩報謝と、しっかりこなしながらも、聴聞(ちょうもん)、仏さまのお慈悲(じひ)を聞かせて頂く事をよろこび、法座のたびに吉崎に詣っていた。ところが姑はそれをよろこばず、吉崎詣りを止めさせようと、家宝の鬼の面をつけ、道中、嫁を威(おど)しつける。一瞬は怯(ひる)むも、清は「食(は)まば食め喰(く)わば喰え金剛(こんごう)の他力の信はよもやはむまじ」と口ずさみ、ナモアミダブツと称えつつ吉崎に詣っていく。

 当てがはずれた姑は家に帰り、面をはずそうとするがはずれない。こんな姿を嫁に見られては生きておれぬと自害しようとするが、手足がしびれて動く事もできなくなってしまう。

 そこに嫁が帰ってくる。「ああ、恥ずかしや」と泣き叫ぶ姑に、ことの顛末(てんまつ)を聞いた清(きよ)は、「如何(いか)なる者も弥陀(みだ)を頼(たの)み念仏申さば仏になると聴聞仕(つかまつ)り候(そうら)えば早く念仏したまえ」と涙ながらに勧めると、初めて嫁の勧めにしたがい、ナモアミダブツと一声称えた。面は直(す)ぐさま落ち、手足も元の如くになり、姑は夢の醒(さ)めたる如(ごと)く「我も何卒(なにとぞ)吉崎へ参り御教化聴聞せん」と同道に参詣し、共にお聴聞を楽しむ信心の人となった。・・・という。


 荒唐無稽(こうとうむけい)な話と言ってしまえばそれまでですが、非常に含蓄(がんちく)のある伝承(でんしょう)です。


 なぜ、私がこんな目にあわなければならないのか!

せめて、同じ苦しみを分かち合えるはずの嫁は、私のように悲嘆に暮れるでもなく、なにやら新しい楽しみを見つけて生き生きしている。息子や孫を返せ!そもそも、お前に息子や孫の愛情を奪われ、どんなに私が寂しい思いをしていたか。馬鹿にするな!憎い!あの嫁が憎い~ !!

 清(きよ)の涙ながらの勧めは、思う通りにならない心を自らも持て余していた姿を姑に見出し、だからこそ仏さまはナンマンダブツと寄りそって下さるのだと、あらためて、お慈悲が身に染みて味わわれたのではなかったか。


五濁(ごじょく)悪世(あくせ)のわれらこそ 金剛(こんごう)の信心(しんじん)ばかりにて ながく生死(しょうじ)をすてはてて 自然(じねん)の浄土(じょうど)にいたるなれ

 

 思う通りにならない人生を、誰を恨むでもない、そのままが仏さまと成らせていただく道行きなのだと安心する事が出来た。この心は、自分で拵(こしら)えたものではない。仏さまから頂いたものだからダイヤモンド(金剛)のように輝いて壊れる事がない。

 『蓮如(れんにょ)上人(しょうにん)御一代(ごいちだい)聞書(ききがき)』には、このご和讃を大変よろこばれて、よく、ご法話されたとあります。清も何度も耳にしたに違いありません。