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聖典講座<讃仏偈④>

岐阜県関市のお寺 光圓寺(こうえんじ)の聖典講座 讃仏偈

*第二段

 

 「讃仏偈」は、三つの部分に分けられます。

 第二段では、師仏である世自在王仏の讃嘆を終えた法蔵菩薩が、いよいよ、自らの願いを述べられます。

 お勤めする時、讃仏偈のここが特にありがたい。まさに浄土教は、ここから始まるのですよ、と尊敬する先生がよくおっしゃっておられました。

 その願いは三つあります。

 

願我作仏 斉聖法王 過度生死 摩不解脱 布施調意 戒忍精進 如是三昧 智慧為上 吾誓得仏 普行此願 一切恐懼 為作大安 仮使有仏 百千億万 無量大聖 数如恒沙 供養一切 斯等諸仏 不如求道 堅正不却 譬如恒沙 諸仏世界 復不可計 無数刹土 光明悉照 徧此諸国 如是精進 威神難量

 

 願はくは、われ仏とならんに、聖法王(しょうほうおう)に斉(ひと)しく、生死(しょうじ)を過度(かど)して、解脱(げだつ)せざることなからしめん。布施(ふせ)・調意(じょうい)・戒(かい)・忍(にん)・精進(しょうじん)、かくのごときの三昧(さんまい)、智慧上(すぐ)れたりとせん。

 われ誓ふ、仏を得たらんに、あまねくこの願を行じて、一切の恐懼(くく)〔の衆生〕に、ために大安(だいあん)をなさん。たとひ仏ましまして、百千億万の無量の大聖、数恒沙(ごうじゃ)のごとくならんに、一切のこれらの諸仏を供養せんよりは、道(どう)を求めて、堅正(けんしょう)にして却(しりぞ)かざらんにはしかじ。たとへば恒沙のごときの諸仏の世界、また計(かぞ)ふべからざる無数の刹土(せつど)あらんに、光明ことごとく照らして、このもろもろの国に徧じ、かくのごとく精進にして、威神量(いじんはか)りがたからん。

 

 一つは、わが身の仏としての悟りの完成です。

 私も師である世自在王仏のように迷い(生死)の世界から抜けだし、煩悩に少しも惑わされない者となろう。貪りの心を布施行によって調伏し、自らを戒め、辱めに耐え、努め励むこと、これらの行に傲り高ぶることのない静かな心で臨み、そこから生じる智慧を最もよろこび大切にする者となろう。

 私が仏と成るのは自分のためではない。迷いの世界にあって(煩悩に惑わされ)恐れおののく者すべてに安心を与えたいのである。例えば、ガンジス河の砂の数ほどの仏さまがいらっしゃっるとして、すべての仏さまをご供養もうしあげることは途方もない難事ではあるが、それ以上に困難な道が、(仏を仏とも思わぬ)迷いの衆生を救うことであろう。だが、決して怯みはしない。あらゆる仏土、また、いかなる国土であろうとも、(諸仏の救いからもれた苦しむ衆生があれば、一人も見逃さないために)あまねくわが光明に照らしとろう。このように努め励み、どの様な者でも、ことごとく救いとることが出来る、計り知れぬ威徳ある者となろう。

 二つに、仏として衆生教化の方法(仏国土)の確立です。

 

令我作仏 国土第一 其衆奇妙 道場超絶国如泥洹 而無等双 

 

 われ仏とならんに、国土をして第一ならしめん。その衆、奇妙にして道場超絶ならん。国泥洹(ないおん)のごとくして、しかも等しく双ぶものなからしめん。

 

 私が仏として、迷える衆生を救いとるために、あらゆる仏国土の中でも第一のものとし、衆生に妙なる菩薩としての自覚を持たせ、仏道を修める場として優れていて、あらゆる悩み苦しみが吹き消される境地を味わうに比べるものがないものとしよう。

 そして最後に、衆生の救済が願われます。

 

我当哀愍 度脱一切 十方来生 心悦清浄 已到我国 快楽安穏

 

 われまさに哀愍(あいみん)して、一切を度脱(どだつ)すべし。十方より来生(らいしょう)せんもの、心悦(しんよろこば)しく清浄にして、すでにわが国に至らば快楽安穏(けらくあんのん)ならん。

 

 私はまさに、あわれみの心を起こして、迷える者の一切を救済することを願う。あらゆる衆生が私の救いを求め、心に清らかなよろこびを生じ、いのちの終りには、私と同じく穏やかに安らぎに満ちた仏の境地をたのしませよう。

 なんとも、すさまじい願いであります。

 先生が、つぶやくように、「こんな願いを起こしたならば、死んでる場合じゃありませんな。死ぬ訳にはいかない。あ、それで無量寿の仏さまになられたんだ」とおっしゃられたのが、その笑顔とともに忘れられません。

 

*第三段

 

 第三段では、自らの願いを述べられた法蔵菩薩が、師仏と十方の諸仏とに、この願いの虚しからざること、偽りでないことの証明を請います。

 

幸仏信明 是我真証 発願於彼 力精所欲 十方世尊 智慧無碍 常令此尊 知我心行 仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔

 

 幸(ねが)はくは仏、信明(しんみょう)したまへ。これわが真証(しんしょう)なり。願を発(おこ)して、かしこにして所欲(しょよく)を力精(りきしょう)せん。十方の世尊、智慧無碍(むげ)にまします。つねにこの尊(そん)をして、わが心行(しんぎょう)を知らしめん。たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止(お)くとも、わが行、精進(しょうじん)にして、忍(しの)びてつひに悔いじ。

 

 本師世自在王仏よ、願わくは、わが衷心なる願いの偽りなきことをお見通し下さい。これら願うところ、勤め励んで必ず果たします。また、十方の諸仏よ、その何事も自在に見通される智慧にて、わが心のおもむくところを常にご照覧あれ。たとえ、どんな苦難が待ち受けようとも、忍び励んで、決して後悔などいたしません。

 この最後の締めくくりは、今でもお勤めをしていて鳥肌が立つことがあります。

 仕事や家庭、様々な人間関係の中で、報われない想いや、どうして分かってもらえないのだろうと孤独を感じることが皆さんにもおありだと思います。そんな時に、この句(特に最後の四句)を口ずさんでみて下さい。きっと、新たな力、勇気が湧き上がってきます。