忘れていても 仏さま
いつもみていてくださるの
だから私はそういうの
ありがと ありがと 仏さま
行動と行為の違いをご存知でしょうか。諸説あるなかで、ある先生より「足を使うのが行動。手を使うのが行為」と聞かせて頂きました。そして人間にしか出来ない行為が手を合わすことであると。
動物は主に足を使い、何か食べるものはないかと下を見て暮らす。手を使えないので臭いをかぎ分けることが命綱で嗅覚が発達する。
人間は手を使えるので、もう少し上、周りが見える。それ故、周りの人と比較することが大好き。
手を使えるのは猿も同じで、猿山では常に自分の居場所(序列)を確認する。周りを気にすることは一緒だが、合掌している猿は見たことがない・・・。
そう、人間だけが、仏さまの御前にぬかずき、手を合わせて、お姿を仰ぐことで、いつもよりほんの少し上を見ることができるのです。
『お仏壇』 (金子みすゞ)
お背戸でもいだ橙(だいだい)も、町のみやげの花菓子も、仏さまのをあげなけりゃ、私たちにはとれないの。
だけど、やさしい仏さま、じきにみんなに下さるの。だから私はていねいに、両手かさねていただくの。
家にゃお庭はないけれど、お仏壇にはいつだって、きれいな花が咲いてるの。それでうち中あかるいの。
そしてやさしい仏さま、それも私にくださるの。だけどこぼれた花びらを、踏んだりしてはいけないの。
朝と晩にはおばあさま、いつもお灯明(あかり)あげるのよ。なかはすっかり黄金(きん)だから、御殿のように、かがやくの。
朝と晩とに忘れずに、私もお礼をあげるのよ。そしてそのとき思うのよ、いちんち忘れていたことを。
忘れていても、仏さま、いつもみていてくださるの。だから、私はそういうの、「ありがと、ありがと、仏さま」
黄金(きん)の御殿のようだけど、これは、ちいさな御門なの。いつも私がいい子なら、いつか通ってゆけるのよ。
損した得した。勝った負けた。
上を見るな下見て暮らせ。
そんな比べあいの世界の中で、本当の幸せも安らぎも見つけることは出来ないよ。比較を超えた仏さまの世界を仰ぎながら生きるのだよ、とお仏壇をご用意下さったご先祖さまが有難い。
お寺の本堂も日常生活と異なる世界、空間を味わえる建物ですが、もっと身近にと用意されたのが、お仏壇です。お婆ちゃんのよろこぶ姿が、孫のこころに映り、比較を超えた本当の世界からの呼びかけに耳を傾けるひとときを持てることのなんと尊いことでしょうか。
比べて喜ぶと他を傷つけ、比べて悲しむと自らを見失う。
そんな日常に我を忘れ仏さまを忘れていたことに気づかされる。
忘れていても・・・。だからナンマンダブツ。まさに「ありがと ありがと 仏さま」と、お礼を申しあげずにはいられません。
称名