非常の言は常人の耳に入らず
お正信偈で「善導独明仏正意」とお勤めする時、音程が上がります。
善導独り仏の正意を明らかにせり
善導大師さまがお出ましにならなかったならば、ナモアミダブツに込められた「我をたのめ、必ず汝を救わん」との仏さまのお心を知ることはなかった、と親鸞聖人は大変によろこばれました。実際、「独」に込められた善導大師さまのご苦労は大変なものがあったようです。・・・それは、世間の常識との闘いでした。
ある先生から、私たちが、いかに常識というものにとらわれてしまうか、という事を思い知らされる、こんな「なぞなぞ」を教えて頂きました。
Q1 象を冷蔵庫に入れる方法は?
えー、そんなことできるわけないやん。・・・私もそう思いました。
A1 扉を開ける → 象を入れる → 扉を閉める
そんなアホな!まぁ、でもそういうことか。
Q2 キリンを冷蔵庫に入れる方法は?
えー、それこそ無理やろ、首でも折るか? いやいや、そうか、一緒や!
扉を開ける → キリンを入れる → 扉を閉める、やろ。ブッブー。不正解。
A2 扉を開ける → 象を出す → キリンを入れる → 扉を閉める
やられたー。たしかに!
Q3 ライオンの王様が全ての動物を集めて会議を開きました。しかし一匹だけ参加しなかった動物がいます。その動物の名は?
えー、一匹だけ・・・。なんやろ、猫?十二支に入っていない、とか。ちょっと違う気も・・・、ブッブー。不正解。
A3 キリン(冷蔵庫に入っていて出られない)。
いかがでしたでしょうか?
この問題、大人になるほど正解することが難しくなるそうです。
一心(いっしん)に弥陀(みだ)の名号(みょうごう)を専念(せんねん)して、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、時節(じせつ)の久近(くごん)を問(と)わず、念々(ねんねん)に捨(す)てざるをば、これを正定(しょうじょう)の業(ごう)と名(な)づく、かの仏(ぶつ)の願(がん)に順(じゅん)ずるが故(ゆえ)に。
阿弥陀さまの願いは、あらゆる苦悩の者を救うということであるから、その阿弥陀さまの救いの働きであるお念仏を称えさせて頂こう。特別な修行は必要がない。日常生活のあらゆる場面でお念仏を称えさせて頂くことこそが、まさしく仏さまとならせていただく道なのだ。何故ならば、仏さまがそう願われているのだから・・・。
親鸞聖人の師匠である法然聖人が仏さまの心をいただくこととなった善導大師さまのお言葉です。
現代人ばかりでなく、善導大師の時代にも「仏さまがそう願われている」からといって「お念仏だけ」なんて非常識もはなはだしい。馬鹿げている、と散々でした。
そんな善導大師さまに、曇鸞大師さまの「非常の言は常人の耳に入らず」とのお言葉が、どんなに支えになったことかと思います。
称名