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ありがたいって何?

岐阜県関市のお寺 光圓寺(こうえんじ)、美濃四十八座のスタンプラリー

 真宗講座に参加された方から、仏さまのお話がありがたいって、何が、どう、ありがたいんですか? というご質問をいただきました。

 たしかに先生のお話は面白いし、ためになることも聞かせて頂けるけれども、「ありがたい」という事が分からん。大勢の方が遠方より来て下さっているが、どういう人達やな?お正信偈も大きな声でお勤めさっせるし、エリートの人達とは思うが、みんなお話を「ありがたい」と思って聞いとりんさるんかな?

 そもそも、光圓寺のご門徒はあまり参っておられないが、永代経、報恩講は参らなあかんと思っているけれども、真宗講座は(参らなあかんと)知らん人のほうが多いぞ。仏さまの話が良く分かるエリートの人が参るんだとみんな思っているぞ。

 

が~~~~~~~~~~~~~ん!

本当にショックでした。

 しかし、こういうことは聞かせてもらわないことにはわかりません。言いにくいことを仰っていただけて有り難いです。

いま、「有り難い」と書きましたが、まさに有ること難し、なかなかあることではない、というのが語源のようです。

 まず、仏さまのお話はお寺に来なければ、テレビなどでは、まず聞くことが出来ません。これだけでまずありがたい。・・・と冗談はさておいて、仏さまのお話の中身は、「救い」です。仏さまが私を救って下さるのだ、と聞こえてくると「ありがたい」と思えそうですよね。ただ、その救いのイメージは人によって違います。病気が治ったり、仕事がうまく行ったり、対人関係がよくなったりしたときに、ああ、仏さまを信じたおかげで救われた、となれば、ありがたい、となる(実際、それをウリにする教団がほとんどです)。浄土真宗で病気は治りません。そういう意味ではありがたくもなんともありません。あえていえば、仏さまのお話を聞くことが楽しくなる ―これが浄土真宗の救いです。病気が治ろうが治おろまいが、関係なく、人生は素晴らしい、楽しい、と思えるようになるのです。私のカード、二巡目も間もなくいっぱいです。

 

 聞けば分かるというものでもないが聞かにゃぁ分からん。お慈悲の聞こえた時のよろこびは、なににもかえがたい。どうかたのむに、まいっておくれ。 (詠み人知らず)