![岐阜県関市のお寺 光圓寺(こうえんじ)、美濃四十八座のスタンプラリー](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=480x10000:format=jpg/path/sfa1666362acf30b5/image/i6a24d7c2bc72caa5/version/1637188819/%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E9%96%A2%E5%B8%82%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%AF%BA-%E5%85%89%E5%9C%93%E5%AF%BA-%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%98-%E7%BE%8E%E6%BF%83%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%BA%A7%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC.jpg)
真宗講座に参加された方から、仏さまのお話がありがたいって、何が、どう、ありがたいんですか? というご質問をいただきました。
たしかに先生のお話は面白いし、ためになることも聞かせて頂けるけれども、「ありがたい」という事が分からん。大勢の方が遠方より来て下さっているが、どういう人達やな?お正信偈も大きな声でお勤めさっせるし、エリートの人達とは思うが、みんなお話を「ありがたい」と思って聞いとりんさるんかな?
そもそも、光圓寺のご門徒はあまり参っておられないが、永代経、報恩講は参らなあかんと思っているけれども、真宗講座は(参らなあかんと)知らん人のほうが多いぞ。仏さまの話が良く分かるエリートの人が参るんだとみんな思っているぞ。
が~~~~~~~~~~~~~ん!
本当にショックでした。
しかし、こういうことは聞かせてもらわないことにはわかりません。言いにくいことを仰っていただけて有り難いです。
いま、「有り難い」と書きましたが、まさに有ること難し、なかなかあることではない、というのが語源のようです。
まず、仏さまのお話はお寺に来なければ、テレビなどでは、まず聞くことが出来ません。これだけでまずありがたい。・・・と冗談はさておいて、仏さまのお話の中身は、「救い」です。仏さまが私を救って下さるのだ、と聞こえてくると「ありがたい」と思えそうですよね。ただ、その救いのイメージは人によって違います。病気が治ったり、仕事がうまく行ったり、対人関係がよくなったりしたときに、ああ、仏さまを信じたおかげで救われた、となれば、ありがたい、となる(実際、それをウリにする教団がほとんどです)。浄土真宗で病気は治りません。そういう意味ではありがたくもなんともありません。あえていえば、仏さまのお話を聞くことが楽しくなる ―これが浄土真宗の救いです。病気が治ろうが治おろまいが、関係なく、人生は素晴らしい、楽しい、と思えるようになるのです。私のカード、二巡目も間もなくいっぱいです。
聞けば分かるというものでもないが聞かにゃぁ分からん。お慈悲の聞こえた時のよろこびは、なににもかえがたい。どうかたのむに、まいっておくれ。 (詠み人知らず)