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求めたものは 一つとして与えられなかったが~

岐阜県関市のお寺 光圓寺(こうえんじ)の巻頭言法味 

求めたものは
一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
      ( 作者不詳 )

 

 「祈り」という宗教的な行為への様々な科学的アプローチが、白鳥哲監督作品『祈り』で紹介されています。

 単なる心の慰めにとどまらず、「祈り」には物理的な効果が認められるというのです。まさに宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』で「その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる」と夢見た万人の救いに道が開かれようとしています。そして、「祈り」とは、自我欲望を超えて、サムシンググレート(人智を超えた偉大なる存在)と対話することであり、おかげさま、もったいない、ありがとう、と日本人は古来よりその感性を研き続けてきた民族である、と。いうのです。

 映画の終わりに作者不詳の詩が朗読されます(悩める人々への銘)。

 大きなことを成し遂げるために強さを与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶように弱さを授かった。偉大なことができるようにと健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。世の人々の称賛を得ようとして力と成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに、あらゆるものをいつくしむために人生を授かった。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。私はもっとも豊かに祝福されたのだ。

 私は鳥肌が立つぐらい感動しました。すぐに思い起こされたのが、大無量寿経の「令諸衆生功徳成就(りょうしょしゅじょうくどくじょうじゅ)」とのお言葉です。諸(モロモロ)ノ衆生ヲシテ功徳ヲ成就セシム・・・。私たちの本当に望むべきことを、仏さまは全てご存知で、叶えて下さる、というのです。ところが、誰しもが経験することでしょうが、こうなったらいいな、ああなったらいいな、とお願いしたからといって必ずしも叶えてもらえるものではありません。むしろ、なんでこんな目にあわなければならないのだろう?この世に神も仏もあるものか・・・、とこうなることのほうが多いのではないでしょうか。

 そうなってしまうのには訳があります。私たちが、本当に望むべきことを望んではいないからです。

 自分にとって不都合なこと、好ましくないことを避けようとするのではなく、その事に込められた呼びかけに耳を傾けようとする姿勢が大切であり、その意を察する智慧が必要なのです。

 いつまでも若々しくありたい、ではなく年を重ねたればこそ、健康がなにより一番ではなく、病を得たればこそ、と手を合わせることができ、また、苦しみの最中にある人により添っていくことができる。そのような智慧を身につけさせたい、というのが仏さまの願いなのです。

 おかげさま、もったいない、ありがとう、みな、とくに真宗門徒が仏さまに育んでいただいた大切な言葉だったのです。

称名